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唐津くんち14番曳山:七宝丸 [祭り]

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からつ曳山展示場にて撮影。14番曳山七宝丸:江川町、明治9年(1876)制作。

お祭りとは関係ない時期に行ったので展示場で展示してある曳山を撮影しただけ。宵山を見に行きたいものです。

唐津観光協会のサイトより転載

- 初くんち~くんち本番 -
日増しに“くんち気分”が高まる中、
 14カ町が囃子を奉納
 
~初くんち~
 唐津くんちでは、11月の本番を前に身心を清める儀式が2度おこなわれます。
 最初の儀式、散齋(あらいみ)にあたるのが「幕洗い行事」。そして致齋(まいみ)と呼ばれる2度目の儀式「初くんち」が、10月9日の午後7時から唐津神社で行われます。
 曳山を持つ14の町が1町ずつ本殿にて囃子を奉納していきます。境内では町単位で宴が設けられ、他町の囃子を聴きながら奉納の順番を待ちます。
 秋の夜風を身に受けながら酌み交わす杯が、唐津っ子の“くんち気分”をさらに高めていくのです。

五穀豊穣・商売繁盛を感謝する、
「唐津くんち」の一番大切神事

神輿飾り・本殿祭~
 唐津神社の秋季例大祭である「唐津くんち」は、10月28日から3日間が本来の日程でした。しかし、観光客の利便性等を考慮して、昭和43年に本殿祭のみを10月29日に残して、お神輿に14台の曳山が供奉するお旅所神幸は11月3日(文化の日)に実施されるようになりました。これに伴い宵ヤマ、町廻りも変更され、現在の11月2日からの3日間が「唐津くんち」となりました。
 本殿祭当日の朝に行われる神輿飾りは、総行司と呼ばれる当番町(曳山を持たない町も含まれる)2町が毎年交代で担当します。その後、本殿にて今年の五穀豊穣・商売繁盛を感謝する神事、「本殿祭」が行われます。

盆や正月にも帰省しない唐津っ子が、
この日だけは唐津へ帰ります

~国指定重要無形民俗文化財・唐津くんち~
 約400年の伝統を誇る「唐津くんち」ですが、現在のような形式になったのは、文政二年(1819)から明治九年(1876)までの57年間に、15台の曳山(ひきやま)が次々と奉納されてからです。
 この曳山のうち明治中期に焼失したといわれる1台を除き14台が現存しています。曳山は、「漆の一閑張」という技法で作られた獅子や兜などの巨大な漆工芸品を台車に載せたもので、これを数百人で曳きます。

 11月2日の午後7時30分、花火を合図に始まる「宵(よい)ヤマ」で「唐津くんち」の幕が開きます。
 1番曳山刀町・赤獅子が曳き出され東周りに進みながら、各町が奉納年順に1番近い場所から参加し、午後10時には唐津神社前に14台の曳山が勢揃いします。
 1年間この日を待ちわびた唐津っ子たちは、囃子に合わせた「エンヤ、エンヤ」の掛声も勇ましく、提灯の灯で幻想的な美しさの曳山を誇らしげに曳きます。

 「唐津くんち」最大の見せ場は、11月3日正午から行われるお旅所(西の浜)への「曳込み」です。
 重さ2~5トンもある曳山が車輪を砂に埋もらせながら、力強く豪快なテンポの曳山囃子に合わせて砂浜を進みます。
 「エンヤ、エンヤ」の掛声と共にお旅所へ曳き込まれる様は正に“極彩色の時代絵巻”、圧巻です。

 最終日の11月4日は、宵ヤマと同じコースを通り、午後12時30分唐津駅前に14台が勢揃いします。
 午後4時30分、曳山を最後に格納する展示場へ近づく頃には、テンション最高潮に達します。今年のくんちの満足感と、曳山との1年間の別れを惜しむ気持ちが交錯し、感極まって目に涙を浮かべる曳子も大勢います。
 曳山と曳子、さらには沿道の観衆の心が一体となって、「唐津くんち」はフィナーレをむかえるのです。

日本料理 水野旅館<唐津> 

日本料理 水野旅館<唐津> 

  • 場所: 佐賀県唐津市東城内4-50
  • 特色: 唐津湾を眺めながら玄界灘の天然の海の幸を味わえる宿。純和風建築の落ち着いた部屋で、唐津焼も楽しめます。


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唐津くんち13番曳山:鯱 [祭り]

からつ曳山展示場にて撮影。13番曳山鯱:水主町、明治9年(1876)制作。

お祭りとは関係ない時期に行ったので展示場で展示してある曳山を撮影しただけ。宵山を見に行きたいものです。

唐津観光協会のサイトより転載

- 曳山囃子について -

環境省の「残したい日本の音風景100選」にも選ばれた曳山囃子
 唐津くんちの囃子は、大太鼓、しめ太鼓、鉦(かね)、笛の4種の楽器で奏でます。笛は、女竹(めだけ)の一種で、節の間隔が長い「鬼 口」(おにくち)と呼ばれる竹で作られます。春先の竹に比べて、虫食いなども少ない8~10月頃切ったものを使いますが、最近は竹林の減少とともに良い材料の入手が困難になりつつあります。一見すると普通の笛に見えますが、口をつけ吹く穴と音階を調整する複数の穴の他に、“竹紙”(ちくし)という「竹の内側から剥いだ薄い膜」を貼る穴があるのが特徴です。この“竹紙”が吹き込む息で振動し曳山囃子独特の音色が生まれるのです。
 唐津くんち当日は、曳山の動く速度や場面にあわせて、太鼓がリードしながら囃子のテンポや抑揚を変えていきます。時には、激しく豪快に。時 には、ゆっくりと優雅に、曳山の色々な表情を演出します。旋律は、どの曳山もほぼ同じですが、囃子だけでどこの町の曳山か判る人もいる位、太鼓のたたき方や曳山の構造が原因と考えられる音の響き方など、それぞれに特徴があります。
 囃子は、各町内の小中高生が担当しています。本番を約1ヶ月後にひかえた10月1日から、町のあちらこちらで囃子の練習が始まり、毎晩響き渡る笛や太鼓が、この時期の唐津風物詩となっています。各町の囃子の特徴を聞き比べながら、夜の唐津の町を散策する観光客も最近は増えてきました。


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唐津くんち12番曳山:珠取獅子 [祭り]

からつ曳山展示場にて撮影。12番曳山珠取獅子:京町、明治8年(1875)制作。

お祭りとは関係ない時期に行ったので展示場で展示してある曳山を撮影しただけ。宵山を見に行きたいものです。

唐津観光協会のサイトより転載

- 唐津神社春季例大祭(春まつり) -
 唐津神社春季例大祭 (春まつり)は、唐津くんち本番を半年後にひかえた4月29日に実施されます。曳山取締会や氏子総代等が参加して神社本殿で行われる神事が主な行事なのですが、見物客のお目当ては、やはり参道に勢揃いする14台の曳山です。この日だけは、自由に曳山に触ったり、子供を乗せて記念写真を撮ることもできるので、大勢の見物客で参道は賑わいます。曳山を運営する14ヵ町は各曳山の後ろで車座になり、酒を酌み交わし、くんち話に花を咲かせながら麗らかな春の1日 を過ごします。また、興に乗って囃子を始めたり、試し曳きと称して曳山を動かす町もあり、これも春まつりの楽しみの一つです。

- 幕洗い行事 -
 “幕洗い行事”は、唐津くんちの始まりを告げる大切な行事です。無数の提灯をつけた船から曳山囃子が響き、「えんや~!えんや~!!」の掛声が夜の町にこだまする様は、唐津夏の風物詩として市民や観光客にも親しまれています。
 曳山には、獅子や鯛といった本体の下部に巻かれている幕があります。この幕を町田川(ちょうだがわ)で洗い、土手に干して乾かす間に松浦川河口へと船で下りながら、くんち話に花を咲かせ酒を酌み交わしたのが “幕洗い行事”の始まりといわれています。戦時中から一時中断され、昭和41年の再開後も、川の汚染等から実際に幕を洗うことはなくなり、船の行事だけが昔の名残をとどめています。
 唐津くんちでは、秋の本番を前に身心を清める儀式が2度あり、最初の儀式を散齋(あらいみ)2度目を致齋(まいみ)と呼び、“幕洗い行事”は、最初の散齋にあたるとされています。この頃から曳山を持つ町々では、唐津くんちに向けた話し合いや集会が多くなるとともに、次第に気持ちが引き締まり、いよいよ唐津っ子の“くんち気分”が高まっていくのです。

 


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唐津くんち11番曳山:酒呑童子と源頼光の兜 [祭り]

からつ曳山展示場にて撮影。11番曳山酒呑童子と源頼光の兜:米屋町、明治2年(1869)制作。

お祭りとは関係ない時期に行ったので展示場で展示してある曳山を撮影しただけ。宵山を見に行きたいものです。

唐津観光協会のサイトより転載

- 唐津曳山囃子保存会 -
 唐津くんちの曳山には、曳山が動いている時に奏でる「競り囃子」、止まっている時の「立て山囃子」、神社参道のみで奏でる「道囃子」の3種類の囃子があります。このうち、「道囃子」は一番曳山の刀町「赤獅子」のみが奏でます。
 唐津曳山囃子保存会は、後継者の育成や伝承目的に昭和4年頃から活動していたそうですが、曳山取締会内の組織として正式に発足したのは約20年前。現在のメンバーは、曳山を保有する14町内の囃子好き18人(20~60歳)です。
 主な活動としては毎月9日(くにち~くんち)に唐津神社で行われる練習会の他、要請があれば唐津くんちをPRするため全国各地のイベントへも遠征しています。


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唐津くんち10番曳山:上杉謙信の兜 [祭り]

からつ曳山展示場にて撮影。10番曳山上杉謙信の兜:平野町、明治2年(1869)制作。

お祭りとは関係ない時期に行ったので展示場で展示してある曳山を撮影しただけ。宵山を見に行きたいものです。

唐津観光協会のサイトより転載

 
 宵ヤマ 11月2日 
 
 


明治二十八年(一八九五)に、総合的な曳山小屋が設置されてから小屋の前に各曳山が集合するようになりました。それまでは、各町が提灯をつけて各道順を選び、大手門の前、あるいは神社前に集合していました。 昭和四十年(一九六五)から、御旅所神幸前日の夜に行われるようになりました。この日の夜七時半に、刀町の曳山が曳き出され東行する間に、各町が曳き順通りに一番近い場所から参加し、唐津神社前に勢ぞろいします。

 
 

御旅所神幸 11月3日

  

唐津くんちの最大の見どころとして、県内外から大勢の見物客が訪れます。 この日の早朝、唐津神社と特別な関係のある神田地区の青年が、神社にて雄獅子、雌獅子の獅子舞を奉納します。獅子は木造の漆塗りで頭にかぶって演じます。この舞は、口元をカブカブ動かすところからカブカブ獅子とも呼ばれています。 午前九時三十分を回ると、神輿を中心として前後に曳山が従い、西の浜明神台(お旅所)までの巡幸が始まります。ヤマは一番の刀町・赤獅子から十四番の江川町・七宝丸まで、制作年代順に並んで、旧城下町をまわります。お旅所への曳き込み、曳き出しが最大の見せ場です。

  
   
 町廻り 11月4日 
 
 


この日は、前日の御神幸とほぼ同じ巡路で、旧城下の東西約八キロを回ります。ただし、神輿は出ません。 各町ごとに揃いの鉢巻き、江戸腹、パッチ(股引)、腕ヌキに身を固め、いなせな曳子たちが、ヤマに乗り込んだ◆子方の奏でる緩急自在の典雅なリズムに合わせて曳き回るさまは感動的です。「エンヤ、エンヤ」の掛声とともに、フィナーレへと高まっていきます。 曳山の曳き納めとあって、曳子は最大の力をふり絞りながら曳き、見物客は力いっぱい声援を飛ばします。そして、一台、また一台と曳山展示場に格納されます。くんちが終わると、唐津は本格的な冬を迎えます。


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唐津くんち9番曳山:武田信玄の兜 [祭り]

からつ曳山展示場にて撮影。9番曳山武田信玄の兜:木綿町、元治元年(1864)制作。

お祭りとは関係ない時期に行ったので展示場で展示してある曳山を撮影しただけ。宵山を見に行きたいものです。

佐賀新聞 2010年10月27日更新

唐津くんちの曳山14台切手シート発売 地域限定

 唐津くんち(11月2~4日)を前に、郵便局株式会社九州支社(本村征四郎支社長)は、14台の曳山(やま)をデザインしたオリジナルフレーム切手を発売した。地域限定2千シートで唐津、伊万里、東西松浦地区52の郵便局で取り扱っている。

 80円切手10枚セットで1シート1200円。1番「赤獅子」から3番「亀と浦島太郎」までと、12番「珠取獅子」から14番「七宝丸」を3台1組でそれぞれ大判1枚に、4番「源義経の兜」から11番「酒呑童子と源頼光の兜」まで1台ずつを切手にした。

 発売初日の25日は、同支社の大島照明営業本部長から、坂井俊之唐津市長、唐津曳山取締会の牧川洋二総取締、唐津観光協会の都市右太雄会長に切手シートが贈られた。


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唐津くんち8番曳山:金獅子 [祭り]

からつ曳山展示場にて撮影。8番曳山金獅子:本町、弘化4年(1847)制作。

お祭りとは関係ない時期に行ったので展示場で展示してある曳山を撮影しただけ。宵山を見に行きたいものです。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によりますと、

国内・海外での紹介


・1964年(昭和39年) - 宝塚歌劇団創立50周年記念「美わしの日本博」に出場曳山が本州に渡ったのはこの時が初めて。この博覧会でのイベント「日本のまつり展覧会」に出場したのは「源義経の兜」・「鯛」・「珠取獅子」・「七宝丸」の四台。

・1977年(昭和52年) - 東映のドル箱シリーズ『トラック野郎』の第6作目「男一匹桃次郎」が唐津を舞台にして製作され、唐津くんちが映し出された。このシリーズは舞台地お祭りを作品中に盛り込むのが特徴の一つ。 

・1979年(昭和54年) - フランス政府観光局の招待で、ニースカーニバルに「鯛」が参加。2月24日夜の「イルミネーションパレード」、25日の本番のパレードに出演し、好評を博した。


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唐津くんち7番曳山:飛龍 [祭り]

からつ曳山展示場にて撮影。7番曳山飛龍:新町、弘化3年(1846)制作。

お祭りとは関係ない時期に行ったので展示場で展示してある曳山を撮影しただけ。宵山を見に行きたいものです。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によりますと、

唐津くんち開催の歴史

・現在は成人女性が曳山をひくことはないが、第二次大戦中、徴兵された男性に代わり、残された女性が曳山を曳いたという歴史がある。

昭和天皇が病床に伏していた1988年、日本中に自粛ムードが満ちていた。祭りの中止を迫る団体と、天皇の病気平癒祈念という点で一致し、例年通り、敢行された。

御旅所神幸が行われる11月3日は、晴れの特異日とされている。2001年の御旅所神幸は降雨で中止されたが、これは1933年以来、68年ぶりのできごと(1968年に、御旅所神幸が11月3日となってからは初めて)であったという。


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唐津くんち6番曳山:鳳凰丸 [祭り]

からつ曳山展示場にて撮影。6番曳山鳳凰丸:大石町、弘化3年(1846)制作。

お祭りとは関係ない時期に行ったので展示場で展示してある曳山を撮影しただけ。宵山を見に行きたいものです。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によりますと、

曳子と曳子組織

 曳子の衣装は、いわゆる火消し装束といわれるもので肉襦袢(にくじゅばん 地元では「にくじばん」という)や長法被、およびハチマキは町内毎にデザインが異なり意匠と工夫が凝らされている。中でも他所の祭りでは、通常は法被(ハッピ)と呼ばれる肉襦袢は、羽二重(はぶたえ)という正絹の2枚重ねの生地で出来いる。

 唐津くんちに登場する14台の曳山は、各々14の町がそれぞれの組織を通じて運営している。14の組織は全て自らの町及び曳山に誇りを持ち、伝統を重んじ、後継者の育成に心をくだいている。また、唐津くんち本番の3日間のみならず、年間を通じての様々な行事を通してお互いの結束を固め、親睦を深める事により統制のとれた、かつ盛り上がりのある祭りを目指している。

 曳子組織の年間行事には、1月の初囃子をはじめ、春の親睦スポーツ大会、各町がそれぞれのスケジュールで行う夏の幕洗い行事等が代表的であるが、個別に毎月の会合を行い、町内のレクレーションを企画、実行したり清掃ボランティア活動をしたり商店街のある町は様々なイベントを行っている。つまり町の中で生活する為の主な働き手がそのままその町の曳山の主役になっているのである。

からつ温泉 かぐや姫の湯 旅館 綿屋

からつ温泉 かぐや姫の湯 旅館 綿屋

  • 場所: 佐賀県唐津市大名小路5-10
  • 特色: 天然温泉と陶芸コーナー新設の和風老舗旅館

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唐津くんち5番曳山:鯛 [祭り]

からつ曳山展示場にて撮影。5番曳山鯛:魚屋町、弘化2年(1845)制作。

お祭りとは関係ない時期に行ったので展示場で展示してある曳山を撮影しただけ。宵山を見に行きたいものです。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によりますと、

曳山
 曳山は「漆の一閑張り」という技法で製作されている。その製法は、まず粘土で型を取った後、その上から良質の和紙を200枚くらい張り重ねて厚みを作ってから中の粘土を取り外す。その和紙の上から漆を塗るが、下地を7、8回塗ってから、中塗り、上塗りを重ね、その上に金箔や銀箔を施して仕上げている。

 14町の曳山に共通する基本的な構造は、上記のようにして製作された曳山の主要部分である獅子頭や兜などの巨大な工芸品を、車輪のついた、樫造りの台車の上に載せるものである。台車の前方には100mほどの長さになる2本の綱に数十人の曳子がついて曳山を前方に曳いていく。また、台車の後方には2本の梶棒(かじぼう)が突き出ており、この棒を操作することで曳山の進行方向を操作する(なお、大石町の鳳凰丸には台車の前方にも2本の梶棒がある)。


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