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唐津くんち10番曳山:上杉謙信の兜 [祭り]

からつ曳山展示場にて撮影。10番曳山上杉謙信の兜:平野町、明治2年(1869)制作。

お祭りとは関係ない時期に行ったので展示場で展示してある曳山を撮影しただけ。宵山を見に行きたいものです。

唐津観光協会のサイトより転載

 
 宵ヤマ 11月2日 
 
 


明治二十八年(一八九五)に、総合的な曳山小屋が設置されてから小屋の前に各曳山が集合するようになりました。それまでは、各町が提灯をつけて各道順を選び、大手門の前、あるいは神社前に集合していました。 昭和四十年(一九六五)から、御旅所神幸前日の夜に行われるようになりました。この日の夜七時半に、刀町の曳山が曳き出され東行する間に、各町が曳き順通りに一番近い場所から参加し、唐津神社前に勢ぞろいします。

 
 

御旅所神幸 11月3日

  

唐津くんちの最大の見どころとして、県内外から大勢の見物客が訪れます。 この日の早朝、唐津神社と特別な関係のある神田地区の青年が、神社にて雄獅子、雌獅子の獅子舞を奉納します。獅子は木造の漆塗りで頭にかぶって演じます。この舞は、口元をカブカブ動かすところからカブカブ獅子とも呼ばれています。 午前九時三十分を回ると、神輿を中心として前後に曳山が従い、西の浜明神台(お旅所)までの巡幸が始まります。ヤマは一番の刀町・赤獅子から十四番の江川町・七宝丸まで、制作年代順に並んで、旧城下町をまわります。お旅所への曳き込み、曳き出しが最大の見せ場です。

  
   
 町廻り 11月4日 
 
 


この日は、前日の御神幸とほぼ同じ巡路で、旧城下の東西約八キロを回ります。ただし、神輿は出ません。 各町ごとに揃いの鉢巻き、江戸腹、パッチ(股引)、腕ヌキに身を固め、いなせな曳子たちが、ヤマに乗り込んだ◆子方の奏でる緩急自在の典雅なリズムに合わせて曳き回るさまは感動的です。「エンヤ、エンヤ」の掛声とともに、フィナーレへと高まっていきます。 曳山の曳き納めとあって、曳子は最大の力をふり絞りながら曳き、見物客は力いっぱい声援を飛ばします。そして、一台、また一台と曳山展示場に格納されます。くんちが終わると、唐津は本格的な冬を迎えます。


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