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明治村:汐留レンガ迷路 [風景・建物]

汐留レンガ迷路.JPG

明治村にて汐留レンガ迷路を撮影。

明治35年、東京汐留に作られた火力発電所の煙突のレンガを使用して作られた迷路。

迷路に使用されているレンガ全てが文化財である。

訪れたときは倒壊の危険があるため使用禁止になっており周りから見るだけでした。


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明治村:長崎居留地二十五番館 [風景・建物]

長崎居留地25番館.JPG

明治村にて、長崎居留地二十五番館を撮影。

明治22年に長崎市南山手町に建設され、昭和41年に解体・移築された長崎居留地25番館は長崎の居留地にあった外国人住宅である。安政6年に開港した長崎では大浦を中心に東山手、南山手の居留地が設けられ、この住宅は南山手に建てられた。創建時には三菱長崎造船所マネージャーのスコットランド人コルダーが住んでいた。

本館に見られるように、中央に中廊下を設け、周囲三方をベランダをめぐらす形式は、西洋人が東南アジアに建てた植民地住宅の形式を取り入れている。また、本館が完成してから約20年後に増築された別館は、和室と洋室からなるが外観は本館に合わせて洋風で統一されている。

入鹿の里MUSICA

入鹿の里MUSICA

  • 場所: 愛知県犬山市篠平54
  • 特色: 明治村近く、入鹿池のほとりに佇むホテル。当館自慢の四季折々の旬の食材を使った会席料理を、是非ご賞味ください。

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明治村:神戸山手西洋人住居 [風景・建物]

神戸山手西洋人住居.JPG

明治村にて神戸山手西洋人住居を撮影。

明治20年代に建設され、昭和41年に解体され昭和44年に移築された神戸山手西洋人住居は貿易港として発展していた神戸の街に建てられた。創建当初は外国人の住居であったが、明治29年から増田周助氏の所有となった。その後再び外国人の手に渡り、フランス人貿易商フェルナン・ブルム氏が住んだ。

別棟の室内は日本間で、窓の一部が和風になっているが全体としては洋風にまとめられ、その1階部分は使用人の住居とされた。母屋と別棟を組み合わせた構成は、神戸西洋館の典型とされる。


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明治村:台場鼻潮流信号機 [風景・建物]

台場鼻潮流信号機.JPG

明治村にて台場鼻潮流信号機を撮影。

関門海峡は、潮流が急で海峡幅が狭く、特に明治後半には交通量も増加し、衝突座礁する船舶が少なくなかった。

この潮流信号機は明治42年8月、山口県下関市彦島たけのこ島町の台場鼻通航潮流信号所に設置され、航行する船舶の安全を図るため潮流の方向、緩急を70年間も知らせ続けその役割を果たしてきた。


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明治村:シアトル日系福音教会 [風景・建物]

シアトル日系福音教会.JPG

明治村にてシアトル日系福音教会を撮影。

明治40年ごろに建設され、昭和58年に解体、昭和59年に移築されたこの建物は、シアトルの新興住宅地に建てられたアメリカ人の住まいであった。その後、日系移民の住居となり、第二次世界大戦後には日系一世が、礼拝や移住当事の苦難を語り合う福音教会として使われた。

日本人のアメリカへの移民は明治の初期に始まり、明治20年ごろより数を増した。

この建物は大量生産による規格木材を使用して建てる、ツーバイフォー構法の先駆的な実例である。また屋根はアメリカ赤杉の板を用い、シェイク葺きという方法で葺かれています。


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明治村:名古屋衛戍病院 [風景・建物]

名古屋衛戍病院.JPG

明治村にて名古屋衛戍病院を撮影。

木造平屋建ての名古屋衛戍病院は、明治6年に設立された陸軍病院です。病院の必要性が高かった当時、他に比べ設置能力のある陸軍が順次整備を行った

分棟式という洋式大病院の典型的形式をとっており、6棟の病棟が管理診療棟と渡り廊下で結ばれていた。明治村へは病棟のうちの1棟と管理棟が移築されている。

病棟の周囲にはベランダが廻らされ、部屋が明るくなるように開放的に設計されている。

「衛戍病院」とは陸軍部隊所在地にあって、軍の患者を収療し、かつ衛生材料の保管・供給と衛生部の下士官以下の教育を掌るところという意味だそうです。


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明治村:尾西鉄道蒸気機関車1号と六郷川鉄橋 [風景・建物]

 尾西鉄道蒸気機関車1号.JPG

明治村にて尾西鉄道蒸気機関車1号を撮影。

尾西鉄道蒸気機関車1号:内部.JPG

こちらは内部。

もっとシンプルなのかと思っていましたが、細い配管類が多くて驚きました。

この蒸気機関車は、尾西鉄道が開業するに当たってアメリカのブルックス社から購入し、現在の名古屋鉄道尾西線を中心に走った1号機です。尾西鉄道は大正14年に名古屋鉄道を合併したため、この1号機も名古屋鉄道の所属となり、最後には信越本線二本木駅に隣接する日本曹達株式会社で工場専用機として使用されていたそうです。

又、この蒸気機関車が設置されている六郷川鉄橋は、日本で最初の複線用鉄橋である。明治5年に日本で初めて鉄道が開通した当時、新橋-横浜間に架かる橋は全て木橋であった。開業直後、複線化の計画と共に桁橋への架け替えが進められた。六郷川に架けられていた当事、橋は錬鉄製トラス6連からなる本橋と避溢橋からなり、全長が約500mであった。明治村に移築されたのは本橋部のトラス1連である。

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明治村:鉄道寮新橋工場・機械館 [風景・建物]

鉄道寮新橋工場(機械館).JPG

明治村にて鉄道寮新橋工場・機械館を撮影。

明治5年に建設され、昭和42年に解体、昭和43年に移築された登録有形文化財の鉄道寮新橋工場・機械館です。

鉄道寮新橋工場は日本で初めて鉄道が走った新橋-横浜間の起点、新橋停車場に機関車修復所として建設されました。その後規模が拡張され、大正4年には大井町へと移転し、用品倉庫として昭和42年まで使用されました。

日本がイギリス人技術者の指導の下に鉄道を導入したことから、当時の機関車や線路は全てイギリス製でありました。この鉄道寮新橋工場の建物も輸入材料を使用しており、鋳鉄柱にはリバプールのハミルトン・ウィンザー鉄工所の銘が刻まれています。

鉄造プレハブ建築である鉄道寮新橋工場の建物は、日本の近代鋳造技術の点となった貴重な遺構です。

内部には日本の近代化の過程で使われた多数の機械が展示されています。

リング精紡機.JPG

鉄道寮新橋工場・機械館に展示されているリング精紡機を撮影。 

活版印刷機.JPG

鉄道寮新橋工場・機械館に展示されている活版印刷機を撮影。

レイクサイド入鹿

レイクサイド入鹿

  • 場所: 愛知県犬山市喜六屋敷118
  • 特色: 周辺には、博物館明治村をはじめ、自然、歴史、文化、レジャーを存分に楽しんでいただけるスポットがいっぱいです。


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明治村:宇治山田郵便局 [風景・建物]

宇治山田郵便局.JPG

明治村にて宇治山田郵便局を撮影。

明治42年に建築され、昭和43年に解体、昭和44年に移築された宇治山田郵便局。

山田(現 伊勢市)には明治5年に郵便役所(8年に郵便局と改名)が設けられたが、局長の交代や電信事務の導入などに伴って局舎は移転を重ね、明治42年にこの庁舎が伊勢神宮外宮前の神域正面角地に新築された。

設計者は逓信省の技手白石円治といわれ、L字型平面の角が入口で、公衆溜と呼ばれる円形のホールとなっている。ホールの周囲はカウンターになっており、左の翼部で郵便事務が行われ、右の翼部に電話交換室やレンガ造の切手倉庫などが設けられた。ドーム状の天井にある高窓からは光が入り、明るいホールとなっている。

玄関脇には明治20年代の黒いポストが復元され、現在も利用されている。


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明治村:聖ザビエル天主堂 [風景・建物]

聖ザビエル天主堂.JPG

明治村にて聖ザビエル天主堂を撮影。

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横からも撮影。

聖ザビエル天主堂:ステンドグラス.JPG

内部からステンドグラスを撮影。

聖ザビエル天主堂:内部.JPG

礼拝堂の内部を撮影。ステンドグラス越しの光で室内が様々な色に染まっています。

聖ザビエル天主堂:ライトアップ.JPG

ライトアップされた聖ザビエル天主堂を撮影。一番上の昼間と雰囲気が違いますね。

聖ザビエル天主堂礼拝堂:ライトアップ2.JPG

ライトアップされているときの礼拝堂の内部。内部も昼間と雰囲気が違っていました。

聖ザビエル天主堂は16世紀に来日し、日本にキリスト教を伝えたイエズス会宣教師、フランシスコ・ザビエルを記念して建設されたカトリックの教会堂である。設計者はフランス人宣教師のパピノ神父、施工者は棟梁ペトロ横田といわれています。

内部は身廊、側廊のある三廊式で、大アーケード、トリフォリウム、丸窓のあるクリアストーリーの三層で構成されたゴシック様式である。木造部は総欅造、また、ステンドグラスは色ガラスに白色塗料で草花模様を描き、その外側に透明ガラスを重ねて保護している点が特色である。


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