イスラエル旅行:鶏鳴教会7 [海外]
イスラエル旅行:鶏鳴教会5 [海外]
ペトロ、鶏が鳴く前に、イエスを知らないと三度言う 『聖書 新共同訳』から
人々はイエスを捕らえると、大祭司カイアファのところへ連れて行った。そこには、律法学者たちや長老たちが集まっていた。
ペトロは遠く離れてイエスに従い、大祭司の屋敷の中庭まで行き、事の成り行きを見ようと、中に入って、下役たちと一緒に座っていた。
さて、祭司長たちと最高法院の全員は、死刑にしようとしてイエスにとって不利な偽証を求めた。
ペトロは外にいて中庭に座っていた。そこへ一人の女中が近寄って来て、「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」と言った。
ペトロは皆の前でそれを打ち消して、「何のことを言っているのか、わたしには分からない」と言った。
ペトロが門の方に行くと、ほかの女中が彼に目を留め、居合わせた人々に、「この人はナザレのイエスと一緒にいました」と言った。
そこで、ペトロは再び、「そんな人は知らない」と誓って打ち消した。
しばらくして、そこにいた人々が近寄って来てペトロに言った。「確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる。」
そのとき、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「そんな人は知らない」と誓い始めた。するとすぐ、鶏が鳴いた。
ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。
(マタイによる福音書:第26章57~59節、69~75節)
イスラエル旅行:鶏鳴教会4 [海外]
イスラエル旅行:鶏鳴教会2 [海外]
大祭司カイアファの邸宅があったとされる場所に1924年から1931年にかけて建てられた教会で、地下にはイエスが投獄されたという牢屋が残されている。かつてはこの場所もヴィア・ドロローサのルートに加えられていたようで、教会の傍らにある石段はイエスの時代に建造されたものであることが立証されている。「鶏鳴教会」という通称は福音書の以下のエピソードが由来となっている。
“ | ペトロは外にいて中庭に座っていた。そこへ一人の女中が近寄って来て、「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」と言った。 ペトロは皆の前でそれを打ち消して、「何のことを言っているのか、わたしには分からない」と言った。 ペトロが門の方に行くと、ほかの女中が彼に目を留め、居合わせた人々に、「この人はナザレのイエスと一緒にいました」と言った。 そこで、ペトロは再び、「そんな人は知らない」と誓って打ち消した。 しばらくして、そこにいた人々が近寄って来てペトロに言った。「確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる。」 そのとき、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「そんな人は知らない」と誓い始めた。するとすぐ、鶏が鳴いた。 ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。 | ” |
イスラエル旅行:鶏鳴教会1 [海外]
鶏鳴教会はシオンの丘の斜面に大祭司カヤパ邸の跡に建てられています。鶏鳴教会の名前はイエス・キリストの予言のとおり、弟子のペテロが三度イエスを知らないと嘘をついた後に鶏が鳴いたという聖書の話に由来します。
イスラエル旅行:岩のドーム4 [海外]
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によりますと、
平面は2つの正方形を45度ずらして形成された八角形で、中央円形の内陣を二重の歩廊が取り囲む形式となっており、メッカのカアバを意識したことが指摘されている。
入り口は東西南北の4方向にあり、創建当時から円柱が取り付けられ、ヴォールト天井のポーチを備えていた。入り口を入ってすぐの外側の歩廊は、エンタブラチュアとイオニア式円柱によって支えられる24のアーチを備え、内側の歩廊はドームを支える4本のピアと16のアーチを支えるイオニア式円柱によって内陣部と分離している。
平面の洗練された幾何学性はシリアの初期キリスト教建築にも見られるもので、内装に見られるモザイクなどもやはりキリスト教建築からの影響をうかがうことができる。
ドーム内部のモザイク装飾は11世紀以降に何度か補修を受けているが、創建当時の意匠をほぼそのまま踏襲している。デザインはギリシア、ローマ起源のもので、後のイスラム美術特有のモティーフである幾何学的装飾はまったく見られない。
イスラエル旅行:岩のドーム3 [海外]
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によりますと、
イスラム教の教祖・ムハンマドが一夜のうちに昇天する旅(ミウラージュ)を体験した場所とされる。クルアーンでは、マディーナ(メディナ)の預言者のモスクに住していた時代のムハンマドが、神の意志により「聖なるモスク」すなわちマッカ(メッカ)のカアバ神殿から一夜のうちに「遠隔の礼拝堂」すなわちエルサレム神殿までの旅をしたと語っている(17章1節)。
伝承によると、このときムハンマドは大天使ジブリール(ガブリエル)に伴われエルサレムの神殿上の岩から天馬ブラークに乗って昇天し、神アッラーフの御前に至ったのだという。
この伝承は、ムハンマドの死後から早い時期にはすでにイスラム教徒の間では事実とみなされており、神殿の丘におけるムハンマドが昇天したとされる場所にはウマイヤ朝の時代に岩のドームが築かれた。また、丘の上には「遠隔の礼拝堂」を記念するアル=アクサー・モスク(銀のドーム)が建設され、聖地のひとつと見なされている。
この「聖なる岩」は、アブラハムが息子のイサクを神のために捧げようとした台であるともされるため、キリスト教、ユダヤ教も聖地を主張している。支持者は少ないが、岩のドームを現在の場所から取り除いた上でその場にエルサレム神殿を再建しようとする運動すら存在している。